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こちら 南California 晴天なり

異常発見から乳癌告知まで

”痛いな~”というのが異常に気がついたきっかけでした。


【2004年11月3日】

この日は娘の誕生日彼女は16歳になった。
ステーキハウスで誕生日のお祝いをした、おめでとう♪

この日から乳首から乳房の奥に刺すような痛みが一週間続いたあと何とたった一晩で
卵の半分くらいの大きさのしこりが右胸の中央寄り乳首のすぐ上あたりにできているの
を発見!
その前の晩まで何もなかったのにびっくり!
そしてそのしこりの周りがすこしはれて赤くなっている。


【2004年11月10日】

痛みがいっこうにおさまらないので一般のクリニックで検査をしてもらったけどその病院
は救急病院に毛が生えたほどの設備しかない為詳しい検査ができないとの事でその
クリニックからMarine Baseの中の海軍病院に予約を取ってくれた。
痛みの原因がわからないので一応痛み止めと抗生物質を出してもらう。

この頃の私の知識では
”乳癌は痛くならない”
”鉛筆の芯のような硬い小さなしこりができる”
この程度のものでしたから「痛いから乳癌とか関係ない」と思い込んでいました。


【2004年11月15日】

海軍病院から電話があり18日にマモグラフの予約が入っているとの事、あまりの
連絡の早さにちょっと驚いた。


【2004年11月18日】

この日はマモグラフのほかにドクターアイゼンバーグとの予約も入っていてマモグラフ
の結果はドクターを待っている間にでるとの事。
ドクターはメガネをかけた気のよさそうな普通のひとで、ちょっと眉間にしわをよせて
入ってきた。

私   「前の病院でもらった抗生物質を飲んだらしこりが小さくなったんですが・・」
ドクター「それはグットニュースです、でもまだしこりが消えてませんからしこりは取り
     出したほうがいいでしょう。」
ドクター「乳首から何か出ませんか?」
私   「そういえばしぼるように軽く押すとちょっとピンクっぽい透明な液がでます
     けど・・?」
ドクター「・・OK,来週日帰りでしこりを取り出す手術をしましょう,それでしこりを検査
     にだします、結果が良性の場合はそれ以上の検査はいりませんよ、でももし
     悪性とでたら色々と忙しくなりますよ」
私   「それで、手術の傷はどのくらい残りますか?」
ドクター「3cmくらいでしょう」

こんな会話を終えて23日の日帰り手術の予約を取って帰宅。
この時私にとって傷跡の大きさのほうが心配だった。

この時主人も休みを取ってついてきてくれたのですが二人とも全然悪い結果など考え
てもいませんでした。


【2004年11月23日】

この日はたまたま子供達の学校が先生のミーティングの為お休み、9時に家族全員
で病院に行った。
病院用のガウンに着替えてすっかり患者らしくなった私を見て子供達もちょっと心配顔・・

最初は下の階でマモグラフを使ってしこりにワイヤーを刺して位置を特定する事から始
まった。
ワイヤーを刺すのが痛いのなんのって!しかも2本!
それを刺したまま車椅子を押してもらって3階に戻り手術開始時間の11時30分まで
待機。
主人にワイヤーが刺さっている事を話すと
「止めてくれ~、痛そうで聞くに堪えない!」だって。
臆病な奴め~(笑)

何とその待機中に生理が始まってしまった!
ストレスのせいか3日早かったけど念のため用意はしてあったのでOK!

あれよあれよという間に手術は済んで術後待機のあと午後4時に帰宅。

心配していた傷はやはり3cmほどでその時はハレのせいかそれほど見た目は悪くな
かった。
(そう、その時はね、でもそのハレが引いたあと乳房の形が無残にも変わってしまった。)


【2004年12月6日】

検査結果の予約のため主人と二人でドクターに会う。
診察室に入ってきたドクターの顔つきで何となく不安になった。
結果は炎症性の乳癌で腫瘍の大きさ1.7cmステージ1。

主人の顔色が変わった、ドクターがすぐに隙をつかず
「絶対死ぬことはありませんからあまり心配しないでください」
私は正直いってその時
「そうか、乳癌か・・ふむ、忙しくなるなこれから」と思った。

すぐにカウンセラーのキャロルさんが入ってきて色々と資料や乳癌の本などたくさん入
ったバックをくれた。
これからは彼女が病院と私の橋渡しをしてくれるとの事。
彼女は私達がうわの空で何を聞いても理解できる状態でない事も承知していて彼女の
携帯の番号をもらって帰ってきた。

「なってしまったものはしょうがないか、さてこれから大変だ」
というのが帰りの車の中で考えていたこと。
恐怖心や絶望感とかいうものはまだ出てきてなかった。

その晩テーブルにすわって子供達にも事情説明をした。
私の態度が普通で手術で直ると断言したので子供達は納得したが、子供達が寝たあと
主人とふたりで話している間に急に「癌」という現実が実感として沸いてきて10分くらい
ワーワー泣いた。

でも、後にも先にも泣いたのはこの時の10分間だけだった。


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